ChatGPT の可能性
アートの分野におけるChatGPT の可能性と限界を考察してみます。
例えば、人がアナログで生成された生き物だとすれば、ChatGPT はデジタルで生成された人の創造物である。 ここで問題なのが、ChatGPT で生成された創造物がアナログ(人の能力と感性から生まれる創造物)を超えていけるかどうか?なのです。 ある人はChatGPT がアナログを超えていくと考えるし、神の創造物であるアナログ(人)を超えることは永遠に出来ない・・もしくは、超えられては困ると考えてます。
ここで載せているデジタル画像は、<彩度・明度・色相>と<赤・青・緑>を16段階(1,2,3,....e,f)のフォントにより指定し、800x640(ピクセル)=512000(ピクセル) ピクセルとは粒状の点であり、およそ52万個の点の集合で一枚の画像が形成されていることになります。 ここで問題なのが、明度に関しても、白から黒までを16段階というかなり荒っぽい諧調で指定されていることです。 しかしながら、赤・青・緑・彩度・明度・色相という6個の要素を16段階で指定しているとなると、一つの点を指定するのに、場合の数でカウントすれば、6の16乗個となり、およそ2000万色を指定できることになります。 16段階の諧調で指定するとなれば、かなり荒っぽい感じがしますが、一つの点を2000万色の中から選んでいると考えると”途方もない選択肢があることが分ります。
ここからは私の推測・推論でしかないのですが・・人の感覚的諧調は16段階以上であり、無限に近い諧調を有していると考えます。 一つの色に関しても、2000万色以上を識別することは不可能かもしれませんが、その人が感性的に好んで選ぶ色と無視(ないものと)して見えない(認識しない)色があるとすれば、2000万色を識別する必要もありません。 ビジュアルアートにおけるデジタルはカウントできるという意味では有限であり、アナログ(フィルム)や絵画は無限です。 囲碁や将棋は有限の盤の上にあることから、既に、コンピュータには敵いません。 デジタルを基とするChatGPT、AIなどは有限の場合の数内にあり、アナログ(人)を超えていくことはないと思います。
百歩譲って、合理的であることが有限であるとしても、非合理・不合理的であることは曖昧で不確実であり、無限に近いものとして考えてよいのではないでしょうか。 個人の感性によるビジュアルアートの世界は、曖昧で不確実なものであり、デジタルから発したものでは、永遠に届かない領域にあると思われます。
抽象的な話になりますが・・モジリアーニの作品はこの世に唯一の偶然の賜物であり、デジタルを基とするChatGPT、AIなどがどう頑張ったとしても、偶然を再現するとは思えません。