「成果主義」が生む「歪」

 

「成果主義」が生むもの・・・

 

成果主義とは、より努力をしたものがより報われるというもの。

逆に言えば、努力が足りなければ、満足な報酬・地位は得られないということ。

 

およそ30年前くらいですか、成果主義という言葉が出てきたのは・・

平等な機会が与えれれば良いのでしょうが、

豊かな家庭に生まれればより良い教育を受けられ、

貧しければ、機会に恵まれない”現実”があることは以前から言われていることです。

また、政治家には2世や3世も多いことから、

ここでも、政治家になるための平等な機会は与えられてはいない。

 

この「成果主義」はベターな考え方(世の在り方)ですが、

結果として、社会に”歪”を生んでる現実があります。

成功した者は、より恵まれた状況にあるのは、ひとえに努力の結果であり、

自らを”勝ち組”と認識するようになります。

方や、現実的に恵まれない状況にある者は

”負け組”として自らの努力が足りなかったことに負い目を持つようになります。

ここに、社会と個人の意識の中に”歪”が生まれてくることになります。

 

なぜ、”歪”なのか?

成功した者の多くは、心身共に健康であり、授かった才能もあり、

裕福な家庭に生まれ、教育のチャンスにも恵まれていたと考えられる。

本人の努力もあるだろうが、「運」にも恵まれていたとも思われます。

また、自分の才能・能力・個性が時代背景にマッチしたのかもしれない。

この時代にマッチしたことはひとえに運が良かったと言えます。

成功した者の多くに「恵まれた・運が良かったから」という素直な自覚がない。

逆に言えば、満足な状況にない者を努力の足りない者として

見下しているのかもしれない。

 

この国では、10%の勝ち組と50%の負け組がいると思われる。

40%はそこそこの生活が出来ているのでしょう。

最近では、勝ち組という言い方を使わず、

”上級国民”という言い方をするらしい。

 

「成果主義」の中から新たな”知恵”が必要な時代になっていると思われる。

なぜなら、成果主義を”弱肉強食”と言うような安易な捉え方をすれば、

そこには「社会主義・全体主義」的な社会システムを良しとする

最悪の社会思想(イデオロギー)の方向へ舵を切ることになる。

 

これは、一つの提案なのですが・・・

「既得権益」と言われる組織・流れを出来る限りその実態を国民が知り、

それを良しとするような議員を選挙で選ばない‥ようにする。

何党であれ、それら既得権益をバックボーンとして

選挙を勝ち抜いている議員が多数いることも知っておきましょう。