無気力に見える子供

無気力に見える子供、無力感の漂う子

 

 

「無気力に見える子、無力感が漂う子にどのように対処していくか?」

40年間、塾長をしてますが、この”永遠の課題”と常に向き合っている。

 

入塾する生徒の3人に1人は、無力感が漂い、勉強に積極的な姿勢が見えない。

親御さんも「うちの子は無気力なのですが、どうにかなりますか?」と尋ねてくる。

 

 

小学生の段階では、

遊ぶことに夢中で勉強には興味が持てないのかな?

いつまでたっても幼さが抜けないからなのか?

勉強の楽しさ、面白さに出会えないでいるのかな?

 

この時点では、幼くぼんやりした子供には見えても、

無気力な子供には見えません。

 

 

ところが、中学生となるころには、

活力のある子とそうでない子ははっきりしてきます。

もちろん、そこそこ活力のある子も多くいます。

 

 

「何がその子を無気力にしたのか?」を

親御さんとの面談を通して探っていくことになります。

入塾後は、指導することを通して観察していきます。

その子を指導する講師からの情報も参考にします。

 

 

その子供固有の先天的要因と、その子の育った環境的要因に分けて考えます。

もちろん、(先天的・環境的要因の)両方が複雑に絡み合って、

その子が存在してることも事実です。

 

 

 

(1)心身ともに健康で元気な子には活力があります。

ただし、勉強となると途端に(後ろ向きになり)無気力を装ったりする子はいますが、

塾長の私としては「いつか、何かのきっかけで変わってくるだろう」

「勉強は嫌いでも、社会人となれば別人のように積極的な生き方をするのだろう」

とか、楽観的に捉えてます。 

こういう子の場合は、厳しく接して(指導)いくことになります。

成績が上がれば、気を良くし、少しづつ頑張るようになります。

 

 

 

(2)部活などと重なって、体力をかなり消耗している子も多くいます。

見た目は無気力に見えますが、中3ごろになれば体力もつき、頑張れる子になります。

長い目でみていくことも大切です。

 

 

 

(3)健康的な問題はないのでしょうが、精神的に消極的な子がいます。

無気力な子というより、欲のない子と言った方が良いでしょう。

 

 

  ・・・この消極的な子には”深い問題”を抱えると思われる子もいます。

 

 

 

部活動でのチーム戦を例えて話すことがあります。

「君を出したから負けたと思われることと、

君を出しても負けたのだから、相手がよっぽど強かったのだろう・・と思われること」

君はどちらを選びますか? と生徒に尋ねることにしてます。

 

 

 

努力しても上手くいかなかった人間を責めませんが、

怠けた人間には同情しませし、その後のフォローもありません。

何事も頑張ってやった方が”得”だということを伝えたかったからです。

 

 ・・・この僕の話が”響いてない”と思われる子がいます。

 

 

 

 

(ア)勉強や運動、入試などでも、頑張りが報われるという経験がなかったことです。

この場合は、頑張らせて、成績を上げて、

新たな経験・実績をつくってあげれば解決します。

 

 

 

 

(イ)前にあるハードルを越せば、次のハードルが待ち構えていること、

走り高跳びで言えば、どんどんバーが上がっていくということ。

頑張れば頑張るほどキツイことになることを”知ってしまっている”こと。

だから、程よいところで止めておけば、”楽”が出来るということになる。

 

 

 

(ウ)自分の定位置をいつしか決めている。

程々に中位くらいの成績なら目立たないし、いじめとかやっかみの対象にもならない。

ここでも、”楽”なポジションを選んでいる。

 

 

 

(エ)内部進学などで、赤点を複数取れば進級も難しくなっていくことが

分かっているし、本人も焦り、親や周囲も皆心配している。

ところが、”その子の心の深層”には、赤点を回避すれば

周囲の心配は自分に向かなくなるし、親の注意が自分に向かなくなる。

そのことを恐れているのだろうか・・赤点を回避できない

 ・・・幼児性が抜けきらないでいるケース。

 

 

 

(オ)反抗期と重なり、精神的にほとんど崩壊状態にある。

したがって、誰の言うことも効かないし、聴く耳も持ち合わせない。

 

”最後の砦”は両親との信頼関係にあるのだが・・

 

 

(カ)親の子への干渉が過ぎると、

いつしか、子供が自分のことを自分で決められない子になってしまう。

 

一人っ子の子供に多いのですが、何をするにも、親が決めてしまう。

小学生くらいまでは”ききわけの良い子”として、育てやすい子なのでしょうが、

中学生ともなれば、自分のことを自分で決めなくてはならい時がやってくる。

中学生から高校生ともなれば、将来の方向性を決めなければならない時がくる。

理系に進むのか?文系にするのか?将来何をしたいのか?

 「別にしたいこともないし、成りたいものもない・・」という子になる。

結果、消極的で無気力な子になってしまう(・・そう、見えてしまう)。

 

親と子の関係

 

 

 

(参考1)赤点を複数とり、進級・内部進学に問題が出るケース。

 

幼稚部・小学校からの内部進学になり、通う学校のレベルにもよるが、

中学校からは外部からのレベルの高い生徒も入学してきて、

授業内容が(小学時と比べて)ずっと難しくなる。

マイペースでやれた小学時と比べ、進度・内容レベルも上がる。

小学校からの内部進学生の中に、

学習内容の急なレベルアップに適応できないことも多い。

 

 

中学時では、(単位が取れないという意味の)赤点という言い方はないが、

主要5科の5段階評価が1であれば、進級は難しいと判断され、

他校への転校を余儀なくされる。

 

 

高校時点での赤点は単位がとれないということになり、

1科目程度であれば、追試などで補ってくれるが、

複数科目へ及べば、高1、高2からでも転校させられる。

 

たとえ進級は出来ても、(下位から10%~20%では)大学への内部進学はできない。

 

 

 

(参考2)もともと、主要5科の勉強には興味が薄く、適性が低い場合もある。

スポーツ係、アート系などに適性があり、

いわゆる(主要5科の)勉強に不向きな子も多い。

学習内容が緩い学校であれば、進級でき内部進学も可能だが、

(大学入学時偏差値55以上の)大学ならば、進級・内部進学は難しい。

 

スポーツに突出していればスポーツ推薦で、

アート系では学力レベルはそれほど高くなくても、美大などへ、

評判の良い専門学校への進学もある。

殆どの私立大では「スポーツ推薦枠」が設けられている。

  

 

 普段の勉強には積極性を見せないが、

スポーツ係、アート系などになると、”別人”のようになる子もいる。

 

 

ポーツ系などは、勉強以上の活力を求められるケースも多いが、

アート系となると、その適性が高い子もいるが、

やる気のない子(無気力な子)の”吹き溜まり”となっているケースも見かける。

 

 

 

 

(4)次は親が子供にどのように接してきたか? 子供が育つ過程での環境的要因。

 

子供は一人、または二人、多くて三人。

 

一人の場合は両親の目が一人の子供に集中する。 

子供にとっては成長するにつれ、負担になるケースもある。

 

二人となると、両親の目は程よく分散するので、バランスが良い。

 

三人がベストで、それぞれの子供がその子らしく育っていく環境にある。

両親も子育ての過程で、多様性を受け入れていくようになる。

 

 

 

(ア)兄弟が何人いようが子育てに関しては、父親が無関心に近く、

母親任せとなっている。

無関心ではないのだろうが、仕事が忙しく子供をかまう暇がない。

(父親は、放任主義である方が、子は良く育つと考えているケースもある)。

母親も仕事をしていれば、勉強の方は学校と塾任せということになる。

子供の人数に関わらず、共稼ぎのケースは多い。

 

 

 (イ)子育てに関しては、父親の意向・方針が全面的に反映しているケース。

母親は、その意向・方針の代弁者となって、塾長の私と会話を交わす。

父親と子のコミュニケーションがとれているのであればよいが、

成績が芳しくない場合、生活面に問題が出てくると、母親は板挟み状態となる。

 

 

(ウ)教育方針に関しては母親主導となってるケース。

女の子であれば上手くいっているケースを多く見かけるが、

男の子であれば、反抗期や思春期と重なり、”手に負えない時期”もやってくる。

父親の登場が望まれるが、”存在感の薄い”父親であれば、ことはより複雑になる。

 

 

 ただし、中学生ともなれば、男の子は、

母親の言うことにほとんど耳をかさなくなるというのが普通の状況です。

 

 

(エ)子供に関しての両親の役割分担が上手くいっていると思われるケース。

 

 

 

 

 (5)親は皆そうであるが、

自分がどのようなきっかけで頑張るようになったか?

目的や夢を持てたか? ・・などと照らし合わせて我が子を育てる。

また、意見し、”こういう人間になってほしい”と希望する。

 

子育てをしながら、

「自分の親は自分をどう育てたのだろうか?」と、ふと思うことがある。

私(塾長)としては、率直に親に感謝している。

”立派な人間に成れた”とは思わないが、

少なくとも、モチベーション高く生きてこれたと思っているので。

 

 

では、「どのように親は自分を育てたのか?」ということになると、

”子供目線で親を見ること”と、”親目線で子供を見ること”は全く違う。

したがって、子育てに関しては客観性が持てない。

子育ての”ツボ・コツ”というものがあるとすれば、

自分の親はそれを心得ていたのか? 自分はそれを知らないでいるのか?

懐疑的になれば限がない。

 

 

ただ、一つだけ、子育てにおいて親が”守ってほしいこと”がある。

子供に意見をしたり、説教したり、叱ったりすることは当然ある。

その場合、”子供の最後の逃げ道”だけは残しておいてほしい。

弁解の余地なく追い詰め、反省を促すことが、

”立派な人間になること”につながると思っている親は多い。

その考え方は確かに正しいのだが、

逃げ道をふさがれ、全否定された子はどうなるのだろうか?

素直に反省し、その後、頑張る子になることもあるが、

このページのテーマでもある「無気力な子」にもなりうる。

 

 世代がかわれば価値観も変わる・・親の価値観だけで子供を見ないでほしい。

世代には関係なく、その子特有の世界観を有することもありうる。

”子供の最後の逃げ道”を残しておくことは、

親には理解できない感性や好奇心を”担保”できることに繋がると思われるからです。

 

 

 

私(塾長)が親御さんといろいろな話をしていて、

「無気力な子になる」原因は、この辺にあるかもしれない・・

・・率直な感想から。