日本人のマナー

日本人がマナーが良いことは、

 

サッカーなどでの試合会場でゴミを片付けて帰ることでよく知られている。

 

それも、そこにいる人たち全員で綺麗に片づけているように見える。

 

  ・・・ その片付けに参加しない人は白い目で見られそう。

 

 

そこにいる(たぶん)全員が同様な行為に走ることが、

 

私から見れば、画一的で何だか奇妙なのだ。

 

「清掃する人たちの仕事を奪うことになるから、

 

そのままにして帰ろう!」という人がいてもいいはずだし、

 

「私は散らかしてないから、散らかした人だけでやれば良いことだ!」

 

と思う人がいても良い。

 

 

このような(後片づけする)行為を美談としてネット拡散しているのは

 

日本人と、特にマナーの悪い人たちへの”警告”のためなのかもしれない。

 

一人当たりのパルプ(紙の原料)消費量が最も多いのは日本であり、

 

それを考えれば、”会場”で最もゴミを多く出すのも日本人かもしれない。

 

 

・・・フランスでの経験ですが、

 

ティッシュで鼻をかみますね、日本人ならそのティッシュはその場で捨てますが、

 

フランス人の多くは、ハンカチのようにポケットに入れ、数回使います。

 

このように、資源を無駄にしない!ことが、徹底されてます。

 

 

様々な人が様々な在り方でよい!と考えるのが、”文化先進国”と考えます。

 

この国では(この場合は、周囲と同じ行動をとっていれば)安全と考える。

 

画一的な行動をとることが「安全な」ことであり、

 

周囲と異なる多様な考え方や行動は蔑ろにされる。

 

 

今、グローバルに視野を広げると、

 

もっとも問われているのは「多様性」です。

 

様々な民族、宗教(もしくは、無宗教)、言語、慣習、地域性、

 

格差などと向き合ってます。

 

一人ひとりにこの多様性を受け入れる”器”が問われてます。

 

多様性が損なわれれば寛容さも失われ、”排他性”という最悪な状況をつくります。

 

 

その”器”をいかにして培っていくか!が教育の現場に問われます。

 

 

 

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         Photo-book から テーマ「花魁」について・・

 

 

衣装として、ビジュアル的に最も優れているのが「和服」と思ってます。

 

その和服で、モデルもカメラもすべてが日本製で間に合います。

 

サッカーなどのスポーツでは、フィジカル面の劣勢を感じることは多々ありますが、

 

こと、文化に関しては、この国の伝統と特有性、

 

その深さには他に類を見ないものがあります。

 

  ・・・ 画像から、「和の文化の凄み」が伝われば幸いです。

 

 

今、この国の若者たちに多く見られる現象ですが、

 

外(海外)へ目が向かない、すなわち、他者・他国への興味と理解に欠ける。

 

多様性の中に身を置こうとしない・・

 

無意識の中に”消極的排他性”が生まれつつあることに気付かない。

 

現実にあるもの・起こることを素直に受け入れている。

 

(疑問を持たず、素直に知識としてより多く蓄積した人が”偏差値”が高い)。

 

疑問を持たず、真理を探ろうとせず、異議申し立てをしないことが

 

平和に豊かに過ごせると信じている。

 

 

昨年、ベルギーに滞在していた時に、ある環境活動家から

 

「あなたの国では、なぜ、国民の同意なしで原発を再稼働したのか?」

 

と聞かれた。 彼らが日本に不信感抱くとするならば、まさしく、このこと。

 

会食中でもあり、英語で応えるのは難しいので躊躇ってしまった。

 

これは、日本語で応えることだって難しい。

 

 

あるがままを認め、考えようとしないこと・・

 

若者の問題というより、私自身の問題と言った方が良いかもしれない・・