日本と西洋との違い
日本と西洋との違い・・・
西洋がこうだから、日本も‥という議論は多いが、
その文化・慣習の根底が全く違っていることを知っておきましょう。
西洋と言われる国の多くはクリスチャン(キリスト教徒)です。
彼らの文化の根底には、良い行いをすれば来世は天国へ、
悪行(極悪非道)を繰り返せば、地獄へ・・
という、来世を前提とした現生があります。
それでは、この国・日本ではどうでしょうか。
”神道”と言われる、漠然とした神の存在を認める人はいるでしょうが、
来世には、天国と地獄があることを信じる者はほとんどいません。
例えば、「死刑の是非」について考えてみましょう。
西洋の多くの国では死刑は廃止され、極刑は終身刑としてます。
極悪非道な殺人を犯せば、来世では地獄へ落ち、
苦しみぬくだろう”場所”が待っている・・と考える。
だから、あえて、死刑とすることなしで、
被害者の遺族も社会も納得できる。
ところが、日本ではどうでしょう・・
被害者の遺族にとっては、
極悪非道な加害者をこの世から抹殺(死刑)にしないことには納得できません。
ですから、法の裁きとして「死刑」の存続することに意味があります。
「死刑存続の是非」については、様々な議論がなされてます・・
「冤罪で死刑になる者がいたら、取り返しがつかない」
「死刑があるからといって、非道な犯罪が減るわけではない」
「極悪非道な犯罪人は、その時点で、人権を無視しており、
そのような人間には人権は認められない。したがって、死刑にすることが当然である」
以上に挙げたいずれの議論も、被害者の遺族の立場に立っていない。
また、論点がズレている・・
冤罪は限りなく無くしていかなければならないが、
だからといって、死刑を廃止する事とは別問題であり、論点が違う。
犯罪を減らすことは社会が背負った責務であり、
死刑の有無とは無関係である。
人権の問題と死刑の有無は全く別問題であり、飛躍しすぎていて、
論点がつかめない。
日本と西洋は考え方の根底が違うことが多く、
環境問題なども、西洋でやっているから、日本も・・
というやり方は安易すぎると思われる。
環境問題を語る人には、先ず、ビジネスがある人が多い。
次は、グレタさんのように”怒り”が根底にあるような人たち。
怒りからは、ろくなものは生まれないことは私たちは知っている。
真に環境のことを考えてい人は意外と少ないのです。
環境問題を唱えれば”良い人になれる”ことから、
怒りや悪意(もしくは、ビジネス)のある人は唱えがちです。
未来の子供たちのことを考える人たちはどれくらいいるのでしょうか。
アメリカの教育について・・・
数学では、等比級数の和を高校生になれば勉強する。
なぜなら、社会へ出てから不自由するから・・
例えば、住宅を購入する場合、
銀行からお金を借りれば、利子を払わねばならない・・
その計算は、等比級数の和(すなわち、複利計算)になるわけで、
その計算方法を知らないと、数学としては具体性(実用性)がないわけです。
全ての教科において、教養としてというよりは、
実用性によって学び方が決められるように見える。
理科の生物範囲でも・・
哺乳類が胎生で生まれてくることの「メリットとデメリット」を説明せよ・・
と、言うような問いになる。
胎生で生まれてくることと卵生ではどう違うのかは、
ネットで調べれば詳しく出ている。
ワードの入れ方が上手なら、「メリットとデメリット」についても書かれている
サイト・資料を引き出すこともできる。
「メリットとデメリット」という相対する概念で捉えるような思考が問われる。
西洋のディベートでは、物事を相対的に(対極化して)
クリアな議論をしやすいような”場”を作っている。
英語であれば、曖昧な日本語ではディベートは難しい。
また、日本人は”曖昧な”日本語で考えることにもなり、
良くも悪くも、クリアな議論の場は作りにくいわけですね。