高学歴とは何を意味するのか?
高学歴の意味
昭和の時代の高学歴とは、有名大学を出ること。 その上を望むなら、有名大学を卒業し、その後、2~4年間、大学院に進むか、海外留学をする。 一部上場企業に就職し、高収入を得られると信じられた(事実でもあった)。
昭和の後期から平成にかけて飛躍的に(入学時の)偏差値を上げた(主に)中高一貫校は、大学進学実績を上げて、より優れた(頑張る)生徒を集め、集めた彼ら彼女らがますます進学状況を良くし、名門私立校へと変貌を遂げた(世田谷区内では鷗友学園)。 文武両道を唱える男子校、名門女子高なども合格実績を上げ、相対的に、区立校、都立高は著しくレベルダウンした。
平成に入り、都立高の”逆襲”が始まる。 進学指定校などを設け、都立高の個性化を図った。 現在に至っては、開成と都立高(日比谷、西、立川)の両方を合格した者が都立高に進学す事態になった(開成は、中高一貫校であり、高校から入学すると不利があると判断するから)。 上位都立高に進学することが有名大学への近道となれば、区立(市立)から受験者が増え、小学から中高一貫校への無理な受験をする生徒も減少しつつある・・(第一志望校へ合格できなければ、区立・市立校へ進む選択肢があるから)。 結果として、少子化も手伝い、下位の私立校が定員割れする事態となっている。
昭和の時代は、とにかく偏差値のより高い有名大学を出ることが高学歴を得ることに直結した・・と同時に、偏差値だけ高く人間性に欠落した(社会に出て歓迎されない)人間も多く出したことになる。 その反省からだろうか、平成に入り、高い教養と人間性が同時に求められるになってくる(勉強と部活の両立が大切)。
令和の時代となり、何が変わって来たか? 平成の時代から既に始まっていたことだが、AIの進出(普及)が本格的に始まっていること。 AI(人工知能)と人の決定的違いは、人には感情・感覚があるがAIはそれを持たない。 また、AIは大量の情報をインプットしてあげれば、瞬時に処理し、判断を出してくる・・このことに関しては、人を遥かに凌ぐ。 例えば、人事課へAIを導入すれば、社内の大量な情報(業績、人間関係など、様々なデータ)を入力すれば、瞬時に人事異動結果を(クールに、合理的に、時には理不尽に)指示してくる。 感情を有しないという利点はあるが、それでよいものかどうか?は分かりませんが。
これからの時代を生きる人たちの高学歴とは何を意味するのか? 再度、考えてみる必要がある。 偏差値が高いことは、努力を厭わない人であり、教養の基盤もある・・ところが、AIは努力無くして瞬時に大量の”仕事”をしてしまう(知識だけが豊富な人いらない)。 これまで、社内で”有能”として扱われた人たちの仕事を奪うことになる。 優れたコミュ力・人間性を備えた教養ある人を育む教育機関を経た人を「高学歴」と言うようになるでしょう。
したがって、中高一貫校の選び方、中学受験への適性、都立高校の個性化などには、新たな情報収集が必要です。