幸せの基本
幸せって、何だろう?と思うとき、
離婚の心配もなく、トラブルの少ない比較的豊かな家庭に生まれたら、
幸せな幼少時を送れるだろうとか・・
兄弟姉妹も2,3人いて、友達にも恵まれ、
そこそこ、思春期になれば好きになれるような異性と出会い、
そこそこ知られた大学に合格でき、好きなサークルで心地よい人間関係があり、
卒業後は、上司に恵まれた会社に入り、出来れば、結婚でもして、
良い家庭を築ければ?と思う。
恋愛とか、親子問題とか、友人関係とか、会社での上下関係とか・・・
これらの全てのトラブルは・・・すなわち、
○○相談と言われるようなものは全て「人間関係」だけの問題になってます。
そもそも、自然というものがあって、たくさんの植物・動物がいて、
その中の”一握りの存在”が人間なのであって、
大自然の営みに比べれば、ほんの小さな人間社会において、
なんで、そこまで(人間関係へ)深刻になってしまうんだろうか?と私は思うわけです。
人間関係とか人間社会を蔑ろにしているわけではなく、
都会のオフィスビル群の中にでも行かない限り、
自分の身の回りには自然が溢れているわけです。
そんな中にあって、
なぜ、世界観が人間関係だけに絞られてしまうのだろう?
と、思うわけです。
引き籠りがまずいのは、
世界観が自分の部屋の中だけになってしまうからです。
自然とも無縁で、人間関係も親族だけとなれば、
世界観はますます狭くなりますから。
ですから、「幸せの基本」は外に出ることです。
そして、できれば自然に触れ、自然を体感することです。
自分の世界観の中において、
人間関係の占める割合を現在の半分にしたらどうか!と思います。
半分は”自然と生きる”ことにとっておきましょう。
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経済的自立を目指すなら、仕事をせざるおえません。
今の仕事は自分に向いてないとか、人間関係が難しいとか、
実は、仕事自体が自分に合わないのではないか?など・・
いろいろな不満は誰にでもあります。
であるなら、自分はこの仕事が好きなんだ!と思い込むしかない。
どうしても、好きになれないなら、仕事をかえればよい。
仕事というものは、ニーズがあって初めて発生するわけで、
自分がその仕事が好きだから・・といって、
その仕事があるわけではありません。
それと、”やらざるおえない仕事”をする以上、
人が生きていく上で、”報われる時間”がなければならない。
ライフワークと言えば、大げさになりますが、
好きなことを好きなようにする時間を作りましょう。
人生を”元気にやっている人”は、
仕事と趣味とのバランスが良く、
耐える時間と楽しむ時間のメリハリが良いですね。
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Yahoo!ニュースで載っていた記事から・・
東大へ入って、休学し、
これまでやって来た”ただひたすら偏差値を上げることに”疑問を抱き、
東南アジアのある地域の(地元民はその生活を当たり前と思ってるが)スラム街へ、
住み込みで”手伝い”をしながら、数日住み込む経験をしたりする。
そして、これらの経験を通して、「幸せの在り方」に疑問を抱くようになる。
貧しいが、日本で生活する我々よりは幸せそうなのだ・・と。
また、農村を尋ね、1年間くらい、農作業を手伝いながら生活を共にする。
都会育ちの学生にとっては、新鮮でかつ新たな価値観を見つける、
それまでの価値観を見直すきっかけともなるそうだ。
そもそも、既成の価値観の上で勝ち抜いてきた彼ら彼女らの見える”景色”は
(これからはそうはいかないが)エリートの既成路線なのである。
私が思うには・・・
東大へ入ってから、これまでの在り方を見直し、
新たな価値観を有していこうとするのでしょうが、
それも、既に既成路線になっているのではないか?
そもそも、小4くらいから勉強を始め、部活動などには打ち込まず、
偏差値ばかりを追いかけた人間が、大学での”サークル程度”の活動で、
人生をリセットできるのでしょうか。
中高で目いっぱい部活をしながら勉強もすればよいが、
大学へ入ってから始める価値観の見直しは”後付け感”が見え見えで、
記事には取り上げられるだろうが、
新たな”既成路線”が確立しつつあるのではないか・・そんな印象を受ける。