子の教育に失敗するとき

 

 失敗する教育

 

 

子供は生まれた当初はどんな子も主体的なのです。 それがいつしか、”主体性”を失っていくわけです。 どうしてそのような主体性のない子になってしまうのか。 そして、どのように対処すれば主体性を持ち、意欲的に活動的な子供に”復活”していくのか?

 

 

1)何が原因でそのような主体性のない子になってしまうのか?

 

私(塾長)が親との面接で「うちの子は何に対しても意欲がないのです。勉強に対しても同様で、平均点くらいは取れるのですが、それ以上頑張ろうとはしません」と。 その後、面接は長時間に及び、親が子供にどのように接してきたかが分かってくるわけです。 また、どのような過程を経て育ってきたかもつかめてきます。 <参考>日本人皆がマスクを外そうとしないのも、”同調圧力”は働いているからだ‥と言われるように、例えば、勉強ができる、スポーツが飛びぬけて上手い、生徒会などへの関わりも活発である・・ということになると、とにかく目立つ存在になるわけです。 同調圧力が悪く働くケースとして、”目立つ釘は打たれる”ということになる。 それらを経験した子供は当然のように目立たないように行動する。 このような作用が勉強においても働き、ある程度以上の成績をとらないようになります、目立たないように。 目立てば、陰でやられるであろう”誹謗中傷”に耐える強い心が持てるような指導が大切です。

 

親(特に母親)の接し方は”自分が理想とする型に我が子をはめようとしてきた”ことが分かりました。 そして、たぶん、父親も周囲も先生も、同様に”大人の理想とする型”に、その子をはめようとしてきたのではないか!と、私(塾長)は気付きました。 

ここで分かることは、周囲がその子を型にはめると、その子は同時に主体性を失います・・子供自身がこうあろう、こうしようとするよりも、周囲の大人が子供の意向を無視して勝手に決めてしまっているからです。 それでは、子供は主体性を失いますし、当然のように意欲も失せます。 (教育というものは、周囲が子供に対してどのように接するか?という意味で”理想”はありますが、下手に接するなら放っておけ!という放任主義の方が”無難”なのは、このような理由からです)

 

この記事を読んだ親御さんに嫌がられることを承知で書きますが・・

 

“型にはめようとする教育”をする人たちの多くは、今の現実の自分の人生に満足してない(もしくは、恵まれてない)と考えているので、我が子にはその轍を踏ませないようにしたいと考えてます。 ですから、我が子にはより幸せなで充実した人生を送ってほしいと思うあまり、”理想の型にはめよう”と躍起になってしまっているのです。 その結果、やる気のない子にしてしまった・・

 

(塾長として)意欲の失せた子供との出会いは小学高学年から中2頃ですが、当塾に来られた限りは”復活”するきっかけを模索しなければなりません。 「頑張れば、いつか報われる・・」ような話(説教)は無駄ですし、全く”効力”もありません。 先ずは、どのようにして主体性を取り戻すか!にかかってます。 高い月謝を頂きながら、無責任な言い方になりますが、その子への接し方において塾長の私にも試行錯誤はあります。 その間、学習中、ウトウトしていたり、スマホをいじっていたり、筆圧の低い薄く流れるような字を書いていることもあります・・その間、塾長の私はその子を常に観察しているのですが、子供にはそれぞれに違う”復活のツボ”というのがあって、また、”復活するきっかけ”というのがあります。 そのタイミングを逃さないことなのです。

 

塾(教室)内でどのようなことを心掛けているか?なのですが、「よくやったなぁ・・」というよに褒めるとき、他の子供たちもいる、皆に聞こえるように少し大きめの声で伝えることにしてます。 別部屋に本人一人を呼んで、褒めてあげても、客観性がないので、”真実味”がないわけです。

 

子育てに”コツ”というものがあるとするなら、”危険なこと・甚だ人迷惑なこと”をしようとするときには厳しくしかる必要がありますが、子供がしたい事をさせる・子供の意志を尊重してあげるようにすると良いです。 そして、その結果に対しては、本人(子供)が責任をとるような(親子間の)システムをつくると良いです(結果に対して、親が尻拭いをすることが最悪なので、子供自身で解決・決着できるように導いてあげることです)。 

 

親子の距離感について・・当然のことですが、親が子供に愛情をもって接することですが、”愛”は常々から伝える必要はありますが、”情”をかけてはいけません。 情は隠し持っていれば良いことで、時には冷ややかに見守っていられる”距離感”が必要ですし、分かっていても、黙って介入しない親側の”忍耐力”も必要なのです。 下手な介入をすれば、自分(親)の気は済んだが、その結果、子供にとっては”最悪の事態”になっているかもしれません。